すごめんち

凄トーク!

2024/03/11 23:52

自分的、3.11の思い出

東日本大地震があった3月11日、良く覚えていないが自分は有給休暇を取ってのだか何がの理由で代休だったのか家にいた

嫁さんは仕事の為に田町に有るオフィスに出勤していた

高校3年だった娘と、中学3年だった息子はもう登校しなくて良い時期だったので家にいた

子供達二人とのんびりと昼御飯を食べたあと、娘は図書館で借りたい本が有るからと出かけて行った

家には自分と息子の二人だけで、お互いのんびしながらCSで録画した番組を見たりとかしていた

そんな時に『うん?なんか揺れてない?地震?』と思ったら突然凄い揺れになった

息子に『棚が倒れないようにおさえろ!』と叫んだあとに棚を押さえている息子が『まだ、俺死にたくねぇ!』と叫んでいた

地震がおさまったあと、とりあえずTVで状況確認をすると大変な事になっている…と思った

とりあえず、家族の安否確認だからと思って連絡を取るも回線が混み合っていて繋がらない

そんな中、娘が『バスが動いてないから』とヒールの有るブーツで20分ほど歩いて帰宅した

さて、そうなると気になるのは嫁さんの安否

子供達と三人で電話をかけまくって30分ほど経ってやっと連絡が取れた

とりあえず、嫁さんは無事だが電車も止まっているから社内に待機しているとの事だった

なので、嫁さんを救出する為車で嫁さんのオフィスに子供達と向かったが都内に入ったら渋滞で進めず

子供達もいるから諦めて戻ろうと思ったが、都内から脱出する車で多摩川にかかる橋が渋滞していて戻れない

たぶん、みんなでかい道路を使って…と思ったのでそこは元大田区民なので裏道を使って幹線道路では無い小さい橋を渡って神奈川県内に戻った

その後も裏道を走って自宅に戻ったのが23時頃

その頃には電話も多少はつながる様になっていたので定時連絡的に嫁さんと連絡

すると、嫁さんの同僚の方の旦那さんが何とかオフィスまで辿り着けたので、その車に同乗させて貰って適当な所まで送って貰える事になった…と

そんな訳で、嫁さんの降車地点まで迎えに行きやっと会えたのが夜中の3時

嫁さんに会えたら瞬間に抱きしめて、無事で良かった…って泣いてしまった

その後帰宅して、落ち着いて眠くなった頃にはもう外が明るくなっていました

震源地に近い方からしたら大した事無い話かもしれませんけど、自分的な3.11の思い出を書いて見ました

2件のコメント (新着順)
はみちゃん
2024/03/15 22:59

私は会社にいました。
遠く離れてるのに、ビルが大揺れして、エレベーターが全部止まりました。
阪神もかなりでしたが、遠くから切ない想いをしていた記憶。

なると
2024/03/13 19:13

震源地に近い者です。
大した事無いこと無いですよ。
それぞれの3.11です。
奥様も顔を見るまで気が張っていて不安でしたね。
ご無事で良かったです。